1926-01-01から1年間の記事一覧

金子文子、宇都宮刑務所栃木支所で死亡

1926年 7月23日 金子文子、宇都宮刑務所栃木支所で死亡

『労働運動』15号発行

1926年4月1日 『労働運動』15号 <秋田から> 和田久太郎 <消息>高島三次君下獄、懲役2年 朴烈君の裁判 ギロチン社事件高裁判決

1926年、金子文子・朴烈への大審院有罪判決、死刑

……被告朴準植は日韓併合の真相を解せず被告金子文子は矯激なる偏見に囚はれ肯謀りて畏くも 皇室に対する大逆事犯を企画し因て以て光輝ある我国史に一大汚点を印したる其の罪責は極めて重きものと謂はざるべからず法律に照すに被告両名の前示すの如く 皇室に…

1926年金子文子・朴烈、結婚届け

1926年3月23日 金子文子・朴烈、結婚届けを出す この届けは死刑判決を前提とし、二人の遺体引取り便宜のため 布施辰治の以下のテキストが明らかにしている「ニヒリストの最後に、死を急いだ朴烈文子は其の遺骸の覚悟に関し、当時、文子 の父も母も之を引取っ…

自我声社設立

1926 3月20日 大阪市此花区吉野町2丁目55に自我声社が生まれた 機関紙『自我声』創刊号を3月20日創刊した。 『黒色青年』第1号消息欄 原本複写より確認 『自我声』(「CHIGASEI」と欄外にローマ字標記)創刊号 李春禎? 在大阪の朝鮮アナキストが発行「強…

金子文子・朴烈 大審院 第3回公判

弁護人弁論、日曜開廷には反対があった

黒旗事件、黒色青年連盟と染めなされた黒旗は高く頭上に翻って銀座へ

1926年1月31日 黒旗事件わが黒色青年連盟は1月31日午後6時半より芝協調会館で第一回の演説会を開催した。東京地方に散在する無政府主義団体の最初の会合であった。会する者七百有余。二流の黒旗の下には6つのスローガンが挙げられていた。 40数名の弁士は…