2005-01-01から1年間の記事一覧
1909年12月31日 宮下太吉、平民社に泊まる。幸徳秋水、管野須賀子らと歓談。
1910年12月30日 堺利彦、東京監獄の幸徳秋水に接見
1917年 12月29日 大杉栄、伊藤野枝、亀戸の労働者街に転居。南葛飾郡亀戸町2400
1910年12月28日幸徳事件、弁論続行。幸徳秋水らの大審院公判開廷。
1923年 12月27日 難波大助、摂政宮狙撃
1921年 12月26日 『労働運動』1号 労働運動社 本郷く駒込片町15 印刷人 近藤、逗子の住所大杉栄宅<二度目の復活に際して>伊藤野枝、近藤憲二、和田久太郎、大杉栄 <転居>逗子町966大杉栄 1面<窃盗の改宗>大杉栄「千葉監獄、窃盗の罪はなるべく軽い方が…
1920年 12月25日 午後2時頃有楽町……事務所兼寝室…… ○大杉栄は日本社会主義同盟に対し無政府主義者たるの…… 本人(大杉)は午後2時頃麹町有楽町3の1露国人「アレキサンダークリチャノフスキー」方を訪問したき■中止さるも主■は英語に通ぜず亦本名(大杉)は露…
1919年12月24日大杉栄、豊多摩監獄へ移監。1921年 12月24日より3日間 東京市神田区北甲賀町駿河台倶楽部に於て在京特別要視察人の開催せる「ロシア」飢餓救済展覧会 2点を出品検閲の結果治安に害ありとして撤去を命ぜられる
1919年 12月23日 大杉栄、午後4時東京監獄へ収監。
1913年 12月22日 大杉栄 <大久保より> 「……医者の厳命によって、まだ床に就いている。……師復という人から、エスペラント文の手紙が来た。…」 『近代思想』1月号1924年12月22日 中濱哲 獄中にて詩作髑房小景 http://www.ocv.ne.jp/~kameda/nakahama-poem-do…
1908年 12月21日 大条、平民社(巣鴨)で幸徳秋水より『麺麭の略取』を受け取る
1919年 12月20日 大杉栄経営の雑誌『労働運動』発刊の善後策に関し大杉は同志吉川、服部、近藤、和田、中村、延島英一、石井鉄治と討議を為す。<註 大杉が入獄のため>
1910年 12月19日幸徳秋水らの意見陳述20日、幸徳らの意見陳述、22日、幸徳らの意見陳述、補充審問を終え、23日、弁護人の証拠調べ、24日、弁護人の証拠書類閲覧、鶴裁判長は弁護側の証人申請を却下した。25日、検事論告、大逆罪として全員死刑求刑。27、28、…
1914年 12月18日 『平民新聞』3号発行 4号に発行状況コメント。<平民社より>大杉栄「新聞の印刷が出来る前から、14,5人の刑事が印刷所を取りまいている。少々シャクに触ったから、電話で自動車を呼んで、囲みを破って逃げ出した。…翌日十数名の同志は家宅…
1910年 12月16日 岩佐作太郎、サンフランシスコで「幸徳記念演説会」を開く。 作家ジャック・ロンドンが支援日本大使に抗議文を送る。1923年 12月16日 大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の葬儀。自連系の労働組合、思想団体の合同葬で谷中斎場で無宗教で行われる
1910年12月15日 大逆事件 内山愚童、武田の意見陳述16日、岡本、三浦、岡林、小松の意見陳述と連日の集中審理であった。幸徳は公判の合間、休廷日の17,18日に弁護士宛ての文書を執筆、無題であるが後に「陳弁書」と言われている。再び公判が続く。
1922 12月14日 大杉栄、イギリスの船で神戸を出発、上海に向かう。
1926年12月13日朝鮮ムンギョンの金子文子の墳墓 官憲の意図を呈した報道 訪ふ人もない金子文子の墓 聞えるものは鳥の声ばかり 発掘の憂更になし 日をふるにつれ今は漸く世間の人の注意から遠ざからうとする金子文子の遺骨を埋た身北面8霊里の朴庭植所有墓地…
1922年 12月12日 大杉栄、朝、神戸に着く。ホテルの部屋で『自然科学の話』の翻訳原稿を直す。
1915年 12月11日 平民講演会開かれる 小石川武嶋町24番地大杉栄方 参加者、大杉栄本人共23名前々回に引き続き<無政府主義の歴史>に関する講演、且つ雑誌『近代思想』の維持に就いて協議 1922年 12月11日 大杉栄、自宅を密かに抜け出す、和田久太郎を手伝わ…
1910年 12月10日 幸徳秋水らの大逆事件、特別裁判開廷、検事総長冒頭陳述、それに基づく被告訊問と陳述が続く。宮下、新村忠雄の意見陳述、12日、管野、古河、新村善兵衛、幸徳の意見陳述、13日幸徳、森近、奥宮、大石、高木、峯尾、崎久保、成石兄弟の意見…
1901年12月9日田中正造が麻布宮村町の幸徳秋水を訪れ足尾鉱毒問題での天皇への直訴状を執筆依頼 1920年 12月9日 神奈川県鎌倉小町在住大杉栄方に社会主義者同盟大会地方出席者慰労の為と称する歓迎会を開催し大杉門前に黒赤旗二流を高飜し其傍ら■鎌倉駅より…
1919年 12月5日 望月桂宅の「研究会」 黒耀会として会則を整える [小松『自』] 1920 12月5日 大杉栄、東京牛込山吹町、八千代倶楽部に開催せる高津正道主催暁民会講演会に参りたるも 間もなく所轄署へ検束せられ午後7時釈放(?)となり同夜麹町元園町同盟仮…
1921年 12月4日 大杉栄、東京市麹町区元園町1の44番地 赤瀾会本部の親睦会に出席す
1919年 12月3日 大杉栄、京橋区数寄屋橋、笹屋に於て開催の故荒川義英追悼会に出席
1914 12月1日 大杉栄、シンヂカリズム研究会に参加。 大杉は佛国に於ける労働取引所及労働総同盟に関する講話を試みる
1910年 11月29日 大杉栄、東京監獄より満期出獄
1919年 11月28日 大杉栄、同志石井鉄治外 早稲田学生懇談会に出席
1923年 11月27日 新山初代、病気で出獄、芝、協調会病院で死去
1915年 11月26日 再び大杉栄宅にて協議会を開く。前日「『近代思想』経営難に迫り、善後策」