2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

1923年 大杉栄よりの林倭衛宛手紙

1923年4月17日 大杉栄よりの林倭衛宛手紙 「きのう高等課へ行くと、金曜日に警視庁へ廻してあるから、今からすぐ向うへ行くといい、たぶんもうできているだろうから、と言う。喜んで行って見ると、まだだ。……きのうはその帰りにゴリキーのEngagnant mon Pain…

1926年 中浜哲、処刑  1922年 『労働運動』四号発行

1922年4月15日 『労働運動』4号発行 <革命の研究1> クロポトキン 大杉栄訳 <被告学秘訣> 大杉栄<ソビエト政府無政府主義者を銃殺す> 大杉栄 <エマとベルクマン 1922.1.7> 大杉栄訳<久板君追悼>堺利彦、<性格の異彩2>久太

1914年 大杉栄、坂本清馬宛に手紙発信

1914年4月14日大杉栄、坂本清馬宛に手紙発信。16日に坂本は手にする。大杉栄は<坂本の姉が心配しているとして司法省に谷田監獄局長を訪ね、局長と典獄から二件の許可を得る。<書籍差入れを大杉が受持つ、坂本からの書信は交互に大杉栄と坂本の家族に発信す…

1927年 「朝・日労働者共同戦線の件」が提案される

1927年4月10日 《朝鮮自由》関東自連第2回大会に向けて「朝・日労働者共同戦線の件」を提案

1909年 幸徳秋水、管野須賀子ら『自由思想』の出版届けを出す

1909年4月9日 幸徳秋水、管野須賀子ら『自由思想』の出版届けを出す

1920年 大杉栄、賀川豊彦を訪ねる

1920年4月8日 大杉栄と長女魔子、和田久太郎外2名と共に来神賀川豊彦を訪問1925年4月8日 古田大次郎、獄中手記「自分の死ぬ事は他人には言はれたくない」

1918年 大杉栄、露国革命記念会を主催

1918年4月7日 <状勢>小池潔は中村勇次郎と共に上京し同日、大杉栄の主唱に依り開催したる露国革命記念会に出席 官憲資料

1926年 中浜哲、面会が妨害され始める

1925年4月6日 古田大次郎、獄中手記「ドストエフスキーの小説にある。いつも文章の下手なのを悲観してゐる。有島武郎氏は死ぬ前に一度秋の空を見たいと言つたさうだ」1926年4月6日 中浜哲、山崎今朝弥宛の手紙で面会がないことを明らかにしている。「大阪のA…

1923年 大杉栄、「日本脱出記」を書き上げる

1923年4月5日 大杉栄、「日本脱出記」を書き上げる。後に近藤憲二が『日本脱出記』に編集収録。1925年4月5日 古田大次郎、獄中手記『死の懺悔』の記述に月日の記入が入り始まる。 「自分はたしかに空想児である。そして今は死を空想してゐる。」1926年4月5日…

1920年 黒耀会第一回作品展覧会

1920年4月3日、4日 黒耀会第一回作品展覧会

1932年農村青年社、非合法グループ検挙される

1932年4月3,4日 農青社非合法グループ、星野、望月、和佐田、八木、小野検挙<資金活動>第二次検挙 非合法グループ壊滅

1916年 大杉栄、バクーニンを語る

1916年4月2日 平民講演会 牛込横寺町芸術倶楽部、午後7時、出席者は大杉栄の外12名(内未編入者4人)、「バクーニン」の経歴に関し講演、10過ぎ散会 (官憲資料)1919年4月2日 労働相談部茶話会、大杉栄出席。吉田一方にて開催。

1919年4月1日 <状勢>北風会例会の席上久板は「如何に千万の労働組合を作るも無政府主義の自覚なき組合ならば革命に何等の用を為さざるのみならず革命の機を失わしむるものなりり云々」と述べたり1920年4月1日 午後7時より服部浜次主となり神田錦町貸席松竹…