1926-03-01から1ヶ月間の記事一覧

1926年、金子文子・朴烈への大審院有罪判決、死刑

……被告朴準植は日韓併合の真相を解せず被告金子文子は矯激なる偏見に囚はれ肯謀りて畏くも 皇室に対する大逆事犯を企画し因て以て光輝ある我国史に一大汚点を印したる其の罪責は極めて重きものと謂はざるべからず法律に照すに被告両名の前示すの如く 皇室に…

1926年金子文子・朴烈、結婚届け

1926年3月23日 金子文子・朴烈、結婚届けを出す この届けは死刑判決を前提とし、二人の遺体引取り便宜のため 布施辰治の以下のテキストが明らかにしている「ニヒリストの最後に、死を急いだ朴烈文子は其の遺骸の覚悟に関し、当時、文子 の父も母も之を引取っ…

自我声社設立

1926 3月20日 大阪市此花区吉野町2丁目55に自我声社が生まれた 機関紙『自我声』創刊号を3月20日創刊した。 『黒色青年』第1号消息欄 原本複写より確認 『自我声』(「CHIGASEI」と欄外にローマ字標記)創刊号 李春禎? 在大阪の朝鮮アナキストが発行「強…