2005-07-01から1ヶ月間の記事一覧

1923年 新山初代、大杉宅を訪問 1927年 碑文谷にてサッコ、 ヴア

1923年 7月31日 新山初代、洪と二人で大杉栄を訪問。翌日の黒友会の研究会への講演依頼。「都合が悪いというので6日私宅に来て講演をして貰うことに決めてきました」1927年7月31日 碑文谷帝友館に於てサッコ、 ヴアンゼッチ両君の釈放演説会をした。 『黒色…

1925年 古田大次郎獄中手記 1926年 布施辰治弁護士、栗原一男ら金

1925年 7月30日 古田大次郎「獄中手記」より 「外へ運動に出た時、つくづく生きて居たいなと思ふ場合と、さうでなく、案外生に冷淡な 場合と二つある。今日は何故か、大変、生きている歓びを感じた。…僕はいつまでもいつまでも、この美しい世界に生きていた…

1925年 和田久太郎書簡 古河三樹松、中村しげ子宛

1925年7月29日和田久太郎書簡 古河三樹松宛「僕は労働組合が堕落の傾向があるからといって、その力なり、意義なりを軽視するのは大反対だ。それが堕落に向ふやうなら、猶更らその運動に向つて力を尽さなければならないと信ずる。……」「……あき足るものは自ら…

1912年 大杉栄 同志茶話会に参加 堺方 1923年 大杉栄の歓迎会

1912年 7月28日 大杉栄、同志茶話会に参加 堺方1923年 7月28日 大杉栄の歓迎会。在京の同志がパウリスタに催す1924年 7月28日 古田大次郎、村木源次郎ら、爆弾の試作品を青山墓地にしかける

古田大次郎「獄中手記」より「屈従は決して恥ではない」 

1925年 7月27日 古田大次郎「獄中手記」より 「父から安らかに死ねといふ一言が欲しい」 「反抗か? 隠遁か? 屈従か? 屈従は決して恥ではない。偽はられ、虐げられるものは、偽り、虐ぐるものよりも善である」

1922年 軍隊宣伝「事件」検束が続く、飯田徳太郎、小池薫ら

1922年 7月26日 軍隊宣伝「事件」検束が続く 「……更に二十六日には、府下巣鴨宮下町の風来倶楽部から一時行方不明を伝えられていた<一味>の飯田徳太郎君と、これは直ぐ帰されたが中澤天蓋君と名古屋の伊串英治君とが引張られた。居合せた無宿の春水事小池…

1908年 幸徳秋水、新宮町大石医院に滞在

1908年7月25日 幸徳秋水、新宮町、大石医院に滞在 幸徳秋水は中村にてクロポトキン著作『麺麭の略取』の翻訳を完成 東京に向かう

1925年 古田大次郎獄中手記より

1925年 7月24日 古田大次郎獄中手記より 「大阪の牢にいる友人や、ここに一緒にいる人達のことが、胸に浮ぶ」

1922年 大杉栄、コロゾフを見送ろうとする 1923年 金子文子死す

1922年 7月23日 露国人「イヴァン・コロゾフ」退出命令あるや大杉栄は…… 惜別慰問の目的を以て……伊藤ノエ、同人私生児魔子…7月23日神戸……同人妻「クララ」に会見大杉■伊藤……慰問後自著「二人の革命家」と題する書籍一部を手交し……安谷寛一……1926年 7月23日 …

1913年 大杉栄 『近代思想』後書き

1913 7月22日 大杉栄 <大久保より>「鴻の巣が麹町の隼町にひっこしした。12日に、そこで、第6回小集を開いた。集まるもの、お客の長谷川天渓氏の外に同人15名。荒畑と僕と発起して、本月の始めからセンヂカズムの研究会を始めた。もう2回会合をしたが、毎…

1921年 大杉栄、赤欄会の講演会講師

1921年 7月21日 大杉栄、赤欄会の講演会<四日め>で講師となる。[『社会主義』9月号<夏の集い>近藤憲二に記述]

1919年 大杉栄、吉田一方 労働者茶話会例会に出席

1919年 7月20日 大杉栄、吉田一方 労働者茶話会例会に出席

1924年 古田大次郎、村木源次郎ら、谷中に爆弾をしかける

1924年 7月19日 古田大次郎、村木源次郎ら、谷中の共同便所に爆弾の試作品をしかける1926年 7月19日 「倉地啓司、新谷與一郎両君は7月19日、前審通り、夫々懲役12年と5年を言い渡され下獄」『黒色青年』5号

1925年 金子文子、朴烈 大審院第1回予審訊問

1925年 7月18日 金子文子、朴烈 大審院第1回予審訊問

1919年 大杉栄、警視庁を訴える、夜は検束される

1906年 7月17日 電車事件「再審理」上告棄却有罪確定、1919年 7月17日 東京地裁検事局帰宅後の言動を偵察するに大杉は今回の犯罪事件を意に介せさるものの如く却って同志弁護士山崎今朝弥を代理人として警視庁正力刑事課長竝びに拘引されたる記事掲載の各新…

1916年 大杉栄、伊藤野枝宛書簡 1922年 後藤謙太郎逮捕される

1916年 7月16日 大杉栄 伊東野枝宛「……うんと喧嘩でもして早く帰って来るがいい。その御褒美には、どんなにでもして可愛がってあげる。そして二人して、力をあわせて、四方八方にできるだけの悪事を働くのだ。それとも、この悪事をあと廻しにして、叔父さん…

1909年 管野須賀子拘引 1915年 大杉栄 平民講演会で徴兵拒否を語

1909年 7月15日、管野須賀子、拘引される1915年 7月15日 大杉栄、平民講演会に出席 小石川水道端町佛蘭西文学研究会場 出席者21名、「兵役制度非認及徴兵拒否に関する演術あり……」 1919年 7月15日 大杉栄、神田青年会館 日本労働連合会演説会に出席 会場を紛…

大杉栄より伊藤野枝宛書簡 「かぜになった」

1916年 7月14日 大杉栄より伊藤野枝宛 「……かぜになってしまった。きょうは一日寝て暮らした。今、四谷からの電話で、保子が四、五日前から病気で寝ているということだから、出かけてゆく。あしたは必ず書く。」

1921年 大杉栄『自叙伝』のため新発田を訪れる

1921年 7月13日 大杉栄、『自叙伝』のため新発田を訪れる

1923年 大杉栄、労働運動社に落ち着く

1923年 7月12日 大杉栄、東京に戻り駒込片町15、労働運動社に落ち着く

1918年 大杉栄、林倭衛と福岡に向かう 1923年 大杉栄、神戸に着く

1918年 7月11日 大杉栄、林倭衛、避暑と活動資金確保のため福岡、今宿に向かう (伊藤野枝は6月30日より滞在) 1923年 7月11日 大杉栄 箱根丸にて「牢屋の歌」『日本脱出記』脱稿 「神戸港港外和田岬に待ち構えた兵庫県警察部のモオタアボオトは箱根丸から大…

1909年 管野須賀子、出版法違反で罰金

1909年 7月10日 管野須賀子 東京地裁『自由思想』出版法違反で編集・発行人管野すがに罰金

1922年 大杉栄、安成二郎宛書簡

1922年 7月9日 大杉栄、安成二郎宛書簡 「緑葉の何とかいう小説はそんなものなのか……」

1918年 大杉栄、田端に移る 1923年 不逞社、新山初代 高尾平兵衛

1918年 7月8日 大杉栄、伊藤野枝、北豊島郡滝野川町大字田端に移転 1923年 7月8日 不逞社、新山初代 高尾平兵衛の社会葬に出席、帰途朴烈夫婦と李秀一と一緒に不逞社に行く

1907年 大杉栄 クロポトキン、マラテスタの著作を読む 1919年 大

1907年 7月7日 大杉栄書簡より 獄中での読書 「クロポトキン『無政府主義の倫理』『無政府主義概論』『無政府主義と共産主義』『裁判と称する復讐制度』マラテスタ『無政府』ロラー『総同盟罷工』『パンの略取』マラトウ『無政府主義の哲学』」 堀宛手紙、巣…

1913年 大杉栄、藤田四郎方にシンヂカリズム研究会を開く

1913年 7月6日 大杉栄、藤田四郎方にシンヂカリズム研究会を開き、出席者15名 大杉は「シンジカズム」を実行し来れる歴史及方……1時間に渉り説明

1909年 宮下太吉、薬品入手 1903年 幸徳秋水、『社会主義神髄』を

1903年7月5日幸徳秋水 著作『社会主義神髄』を朝報社から刊行1909年 7月5日 宮下太吉、甲府の薬屋で、塩酸カリ九百グラム入手

1906年 幸徳秋水 土佐中村に向かう

1906年 7月4日 幸徳秋水 サンフランシスコから戻り、幸徳千代子と共に新橋駅から土佐中村に向け出発

1923年 不逞社、新山初代、駒込署で取調べを受ける

1923年 7月3日 不逞社、新山初代、駒込署で取調べを受ける

1925年 古田大次郎「僕は中濱哲君を思ふ」

1925年7月2日古田大次郎 「獄中手記」後に『死の懺悔』として刊行「宗教生活、霊魂の問題、父から手紙がきた、布施弁護士に会った、僕は中濱哲君を思ふ、センチヤニン、セイリオフ」