2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

1922年 大杉栄、全国労働組合総連合にて検束 1924年 ギロチン社、

1908年9月30日幸徳秋水、平民社を豊多摩郡巣鴨村に移転、内山愚童は移転を手伝い宿泊 戸恒、新美、守田、徳永保之助、川田倉吉らも出入りする。 1922 9月30日 大杉栄、全国労働組合総連合会に出席 午後8時30分解散を命ぜられ不穏の挙…検束される 1924年 9月3…

1911年 大杉栄、同志茶話会に出席。神楽坂倶楽部。

1911年 9月29日 大杉栄、同志茶話会に出席。神楽坂倶楽部。

1915年 大杉栄、 『近代思想』(第2次)複刊

1915年 9月28日 大杉栄、『近代思想』(第2次)複刊

1924年 ギロチン社、倉地啓司、大阪で逮捕

1924年 9月27日 ギロチン社、倉地啓司、大阪で逮捕

1919年 大杉栄、『労働運動』紙、発行を曙町を発行所として届出

1919年 9月26日 大杉栄、『労働運動』紙、発行を曙町を発行所として届出

1915年 野澤重吉死亡

1915 9月25日 野澤重吉死亡

1923年9月24日 

不逞社、新山初代検挙される

1908年 森近運平も平民社に滞在

1908年9月23日 大阪監獄から出所した森近運平も平民社に滞在を始める

1910年 堺利彦 赤旗事件懲役、東京監獄より出獄

1910年9月22日赤旗事件 堺利彦、東京監獄より出獄

1910年  ロイター通信が「天皇暗殺計画」を報道

1910年9月21日ロイター通信が「天皇暗殺計画」を報道

1913年 大杉栄、同志茶話会に出席

1913年 9月20日 大杉栄、藤田四郎方で開催の同志茶話会に主席

1925年 和田久太郎書簡[望月桂宛]古田君と面会した。

1925年 9月19日和田久太郎書簡[望月桂宛] 「特別許可を願って、正札附、最後の手紙を書く。 昨日は古田君と面会した。 別に話すべき事のあらう筈がない。馬鹿話をして愉快?に握手して別れた。 今日、これから愈々執行になる。行先は未だ告げられない。 今朝…

1925年 和田久太郎書簡[近藤憲二宛]

1925年 9月18日和田久太郎書簡[近藤憲二宛]「新谷、倉地の二君は検事控訴の由。 それから、僕の行き先へ最初に来てくれる時、望月君も、一緒に引つ張つて来てくれ。例の引受人を、若し出来れば、やつぱり二人にして置きたい。…「今日もまた雨だね。古田君と…

1925年 古田大次郎獄中手記より「愈々今日迄だ」

1925年 9月17日 古田大次郎獄中手記より「愈々今日迄だ。明日から外の三君は赤になる。僕は灰色だ。いつ永遠に消えるとも解らぬ灰色だ。人並みに見る浮世の光も今日限り。思へば一寸淋しい気もする。」「自分の死ぬ事計り考へてゐる所為でか、今日古河君に会…

1923 大杉栄、伊藤野枝、橘宗一虐殺さる

1923 9月16日 大杉栄、伊藤野枝、橘宗一虐殺さる 戦友の死「大杉栄、伊藤野枝両君が、去る九月十六日、橘宗一君と共に東京憲兵隊本部で虐殺された事は、既に諸君の熟知せるところである。 同志諸君! 我等が常に、友人として、先輩として、且つはまた我等の有…

1915年 大杉栄、平民講演会出席 1919年 大杉栄、北風会例会に出席

1915 9月15日 平民講演会 小石川水道端町佛蘭西文学研究会場 参会者大杉栄、共16名、雑談。 渡辺政太郎「赤羽一の著述にして去る1910年発売頒布を禁止せられたる小冊子『農民の福音』二三冊つつ山鹿泰治は過日秘密に出版したるストライキの話一枚つつを配与…

1925年 和田久太郎書簡「いよいよお別れだ…」

1925年9月14日 和田久太郎書簡「いよいよお別れだ…」労働無運動社宛 「川口慶介君 いよいよお別れが来た。 燕去り、雁来り、蟲地中に入り、久太赤煉瓦の底に余生を投ず、か。」 奥山伸宛 望月桂宛

1913年 大杉栄等、青年会館での芸術座講演会にて『近代思想』を宣伝

1913年 9月13日 大杉栄等、青年会館での芸術座講演会にて『近代思想』を宣伝のため無料配布

1923年 ギロチン社、東洋紡績重役を狙撃 1925年 古田大次郎獄中手

1923年 9月12日 ギロチン社、仲喜一、大阪合同紡績重役を狙うが、東洋紡績重役を狙撃重症を負わす 1925年 9月12日 古田大次郎獄中手記より夜の眠りは流石に安らかでない。江口夫妻が来てくれた。和田君の控訴はやめたさうだ。

1925年 古田大次郎獄中手記より「和田君の無期が問題になつた」

1925年 9月11日…昨日面会場で布施君と話してたら、机の下で蟋蟀がないてゐた。昨日自動車の内から、外の景色を眺めてこれが見納めかと思つたが、別に変つた感じも起らなかつた。和田君を突ついて如何だいと聞いたら、同じやうな事を答へた。和田君の無期が問…

1924年 古田大次郎逮捕 1925年 古田大次郎獄中手記より「死刑の宣

1924年 9月10日 古田大次郎、弾圧 上蛇窪の根拠地に刑事を派して内偵させた所、倉知は七月二十八日金策のため下阪して六畳、三畳二間の長屋には古田と村木が潜んで既に製造された爆弾十数個が積み上げられてゐることが判り、万一踏込みが知れるや爆弾を爆発…

1919年 大杉栄、労働問題演説会に出席

1919年 9月9日 大杉榮、午後6時10分 神田明治会館に於て開催の労働問題演説会に出席 庄司俊夫(労働中尉)の主催。

1919年 大杉栄ら信友会大会開催費用支出 1922年 大杉栄、宮島資夫

1919年 9月8日大杉栄ら信友会大会開催費用支出 「神田美土代町青年会館に開催の労働団体信友会大会に関する費用は岡千代彦(三十円)、吉川守国(十円)、服部浜次(十円)、大杉栄(十円? 二十円?)、等を支出せしか大杉栄一派は本労働団体を自派のものと為さんとの…

1922年 信濃川虐殺真相調査会主催「新潟県朝鮮人労働者虐殺問題演説

1922年9月7日調査会主催「新潟県朝鮮人労働者虐殺問題演説会」、朴烈は現地調査を報告、中浜哲は検束される。(信濃川虐殺真相調査会が組織され新潟現地調査に参加 <新居格の信濃川虐殺に関する論文に、イニシャルBとあるが朴烈の事か>)

1924年 古田大次郎、福田雅太郎宅に小包爆弾を送りつける

1924年 9月6日 古田大次郎、大将・福田雅太郎宅に小包爆弾を送りつける、爆発するもけが人なし

1919年 望月桂、革命芸術の茶話会を開催

1919年 9月5日 望月桂 駒込千駄木町210の自宅で革命芸術の茶話会を開催 久板卯之助、小生夢坊、林倭衛、添田知道、中里介山、川口慶介等が参加 [小松隆二『大正自由人物語』]

1925年 和田久太郎書簡[橘あやめ宛]

1925年 9月4日 和田久太郎書簡[橘あやめ宛] 「其後お変りもありませんか。遠くアメリカから私共の事を御心配下さる御言伝ては、いつも近藤君から有難く聞いて居ります。僕の求刑を知つて大いに驚かれた由、こんなことは米国ぢや見られないでせうが、之れが日…

1923年 金子文子、朴烈、検束さる 1924年 古田大次郎、爆弾を投げ

1923年9月3日金子文子、朴烈、代々木富ヶ谷の自宅で世田谷警察署により検束1924年 9月3日 古田大次郎、村木、和田が留置されていた本郷本富士署に爆弾を投げ込む

1923年 朴烈、四谷の布施弁護士を訪ねる

1923年9月2日朴烈、四谷の布施辰治弁護士を訪ねる

1924年 和田久太郎、福田狙撃 1919年 大杉栄、北風会に出席 1923

1919年 9月1日 [大杉栄]午後8時小石川区指ヶ谷町92番地特別要視察人若林ヤヨ方に開催せる北風会例会に出席せり〇尚本名<大杉栄>は雑談中左の談話を為したり (9月3日吉田一の公判傍聴の件…) 予と近藤、和田、中村の四名を以て労働運動と題する雑誌の発刊…