2005-10-01から1ヶ月間の記事一覧
1922年 10月31日 大杉栄伊藤野枝宛「おとといは宇都宮から自動車で五里あまりの真岡まで行った。20人ばかりあつまったが、ろくな奴一人いないのでがっかりしてしまった。きのう帰ると、留守に来た改造社からの使いがまた来る。12月号の論文を至急書いてくれ…
1914年 10月30日 大杉栄、『生の闘争』新潮社より刊行 第一評論集
1911年 10月29日 大杉栄、同志茶話会に出席。 四谷区左門町13番地堺方「経済組織の改革と精神改革」の議論が起きる。大杉栄は「研究会と講演会の必要」「マルクス・エンゲルス『共産党宣言』」に言及 [調査書]
1916年 10月28日 官憲資料より 大杉栄……近来自己に対する警察側の処遇苛察に渉り諸事圧迫的の態度ありと憤慨し11月3日当日挙行あらせをるへき立太子礼を機とし何等か異常の行動に出て警察当局をして狼狽せしめ以て復習的手段に出つると同時に従来沈衰せる同…
1922年 10月27日 大杉栄 伊藤野枝宛書簡「きのう予定通り金がはったので、40円だけ送った。春陽堂でまた『相互扶助』の印税がはいったのだ。……きょうやっと雑誌の編集を全部終った。……久公といえば、おとといの晩ある会合で、怪しからんうわさを聞いた。それ…
1919年 10月26日 大杉栄、東京労働運動同盟会例会出席「ギルドソシアルズムの批評」と題した演説
1923年10月25日金子文子、第1回訊問調書を作成される
1922年 10月24日 大杉栄、伊藤野枝宛「……おとといときのうと、二日かかって<革命の研究>と<ボルの暴政>を書いたんで、きょうはうんざりしてしまった。そして、朝馬鹿にいいお天気なもんだから、飯を食うとすぐみんなを誘って植物園へ行った。……」
1903年10月23日幸徳秋水 麹町有楽町に事務所と住まいをかねた家を借りる
1913年 10月22日 大杉栄『近代思想』<大久保より>「丁度桂の死んだ11日の夜、京橋元数寄屋町の富嘉川で久しぶりで社同人の小集を催した。……集まるもの15名……」『近代思想』11月号(調査書記載無し)
1922年 10月21日 大杉栄、野枝書簡「……一昨日ちょっと服部へよったら……こっちはまたその前夜一晩徹夜して<自叙伝>を30枚ばかり書いたので、風は少々後もどりしたが、もういい。きょうからまた雑誌の編集だ。それで一休みしようと思って、きのうは上天気を…
1912 10月20日 大杉栄 <大久保より> 「大赦令が出た」 「寒村、社の裏隣に引越してきた」 『近代思想』11月号1914年 10月20日 『微光』第1号発行、指ヶ谷町3番地 印刷人、渡辺政太郎 編集発行人、臼倉甲子造
1913年 10月19日 大杉栄、シンヂカリズム研究会に出席
1919年 10月18日 大杉栄、吉田一の公判傍聴1922年 10月18日 大杉栄、菊池与志夫宛「……なおバクーニンについては、僕は今単行本を書く準備中なんですが、たぶん来年正月号の『改造』には<マルクスとバクーニン>という題で、その一部分の発表ができようかと…
1922年 10月17日 大杉栄、野枝宛書簡「……風はまださっぱりしない。一昨夜一ばんかかって『改造』の原稿を二十枚ばかり書いたから、……きのう、江口の家の家主の婆さんが来て、家賃を払ってくれないから何とか話してくれと言って、いつまでもくどくどやる上に…
1923年 10月16日 ギロチン社、古田大次郎ら 銀行員襲撃・刺殺
1925年10月15日 9月10日、東京地裁、死刑判決。弁護人の山崎今朝弥、布施辰治は反対したが、古田は死刑を受け入れ、控訴せず1925年10月15日午前8時25分、絞首される。古田の純真な思いが表現された獄中手記『死の懺悔』が出版されベストセラーとなる。続けて…
1927年10月14日旭川純労働組合員、西條、山下、西山の三君に関する捏造的不敬事件判決は10月10日と決定して居たが、その成行きを気づかって法廷に集合した吾々同志の悽愴なる態度に慓然として怖れをなした法官は、判決言渡しを無期延期と宣言して慌てて退場…
1903年10月13日堺利彦が幸徳秋水を訪ね、新聞発行の相談
1925年10月12日 金子文子、朴烈に関し検事総長小山、大審院第2特別刑事部裁判長判事豊島に大審院公判に付すべきという意見書提出
1913 10月11日 大杉栄、近代思想第6回小集、15名
1915年 10月10日 大杉栄、野沢重吉法会に参加1931年 10月10日 萩原恭次郎、第二詩集『断片』を渓文社より出版。
1905年10月9日平民社解散
1922 10月8日 大杉栄、伊藤野枝、本郷区駒込片町15 労働運動社に移転
1926年 10月7日 黒色青年連盟員、宮崎晃ら日立製作所争議に関わり社長・久原邸の玄関先に放火
1919年 10月6日 大杉栄『労働運動』第1号発行 本郷区駒込曙町13 大杉栄執筆原稿<労働運動の精神><賀川豊彦論><読者諸君へ>「中村還一、年二十二、時計工、和田久太郎、二十七、人夫、新聞紙違反で十ヶ月の牢獄生活を終えて出て来たばかり 近藤憲二、二…
1913年 10月5日 大杉栄、シンヂカリズム研究会開催 「会する者総て13名、大杉は講話、資本家と労働者」1919年 10月5日 大杉栄、午後5時 築地精養軒 山崎今朝弥開催 晩餐会に出席 晩餐会は本年8月8日より一週間平民大会に於て自己主催の下に開催せる夏季講習…
1923年 10月4日 ギロチン社、田中勇之進、甘粕正彦の実弟五郎の襲撃するが警官によって防止される
1926年 10月3日 「黒旗の下に」『黒色青年』6号 1926年12月1日《東海連盟》清水、10月3日
1919年 10月2日 大杉栄、巡査殴打事件第二回公判 弁護士花井卓蔵、大澤一六、長野■助、山崎今朝弥、布施辰治の5名出廷 被告は先般も起立せす悪習慣は改めさるへからす依て起立するの必要なしとて起立せす… 1922年 10月2日朴烈、大島製鋼争議支援