2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

1925年 古田大次郎「獄中手記」より

1925年6月30日 古田大次郎「獄中手記」より、後に『死の懺悔』として刊行 「今月限りの生命が、又生き延びた。」

1913年 大杉栄、同志茶話会に参加 藤田四郎方

1913年 6月29日 大杉栄、同志茶話会に参加 藤田四郎方

1906年 幸徳秋水「世界革命の潮流」演説 1912年 大杉栄 1923年 

1906年 6月28日 幸徳秋水、神田錦町、錦輝館に於ける日本社会党主催の演説会で「世界革命の潮流」と題し、直接行動時代へ向け同志に訴える。「労働者の革命は労働者自ら行なう」「総同盟罷工」を提唱。1912年 6月28日 大杉栄、神田美土代町青年会館「ルソー…

1925年 古田大次郎公判 検事論告 和田久太郎陳述

1925年6月27日古田大次郎「獄中手記」より、後に『死の懺悔』として刊行昨日、松谷、中村両弁護士来訪 「友人の刑が気にかかる、中でも倉地君のが一番心配だ」11時開廷、中村高一君の証人調べあり、僕に対する大阪小阪事件の証拠品調べが澄んで、愈々検事の…

1923年 高尾平兵衛、右翼に射殺さる

1923年 6月26日 高尾平兵衛、右翼に射殺さる

1914年 大杉栄 1919年 大杉栄 1927年 無差別社 長谷川清病死

1914年 6月25日 大杉栄 「……『新潮』の中村武羅夫君が、一昨日のひるすぎ生田長江君と一緒に僕を訪ねて来た。……とうとう9時間ばかりり話がはづんだ。……」 『近代思想』7月号<大久保より> 1919年 6月25日 大杉栄 「巣鴨監獄へ入監の延島英一は9月24日刑期満…

1925年 古田大次郎「獄中手記」より

1925年6月24日 古田大次郎「獄中手記」より、後に『死の懺悔』として刊行 「夏、夏、若き血よ…」

1906年 幸徳秋水、横浜に戻る1926年 ギロチン社爆弾事件求刑 1927

1906年 6月23日 幸徳秋水、横浜に着く1926年 6月23日■逸見吉三、阪谷貫一君の爆弾事件は6月23日大審院にて、前判決通り、夫々2年、3年を求刑された。『黒色青年』第四号 7月5日発行 1927年 6月23日 「朝鮮大邱事件被告全部の釈放を要求する抗議文を、6月2…

1908年 赤旗事件

<廿二日の無政府党の活動> 東京 竹内善朔 …6月22日、在京の諸同志は山口義三君の出獄を神田錦輝館楼上に於て迎え、…。発起人は石川三四郎君外三氏なりと曰い或は東京社会新聞社同人なりとも曰う、吾人は其何れなるやを知らざれども案内状に二様の別ありた…

1925年 和田久太郎意見陳述 古田大次郎ノート

1925年6月21日 和田君は第二回公判廷にて左のやうに言つた。 「僕のこの度の行為は、僕が常に抱いてゐる主義思想とは関係なく、一昨年、震災の混乱を利用して『社会主義者鮮人の放火暴動』などといふ嘘八百の流言を放ち、火事場泥棒的に多くの社会主義者や鮮…

1926年 『極東平民』第6号刊 『黒色青年』4号消息欄

1926年 6月20日 「休刊していた『極東平民』は6月20日第6号を出した」『黒色青年』4号

1908年 官憲と同志の大衝突(上野停車場で山口孤剣を迎える)

<官憲と同志の大衝突>赤旗の擁護 東京三木生報 評論社諸君、昨6月19日我等同志は上野停車場附近に於て、又もや官権との大衝突を起しました、而して事の原因は言うまでもなく、当局俗吏の無法なる干渉、謂れなき圧制、乱暴なる喧嘩仕掛けより起ったのです。…

1918年 大杉栄 和田久太郎と共に主義研究会を 開催

1918年 6月18日 大杉栄 和田久太郎と共に同志の主義研究会を 開催せり

1923年 不逞社例会、加藤一夫講演、金子文子、朴烈ら参加

1923年 6月17日 不逞社例会、金子文子、朴烈、新山初代参加 加藤一夫の「革命理想及革命時の組織」という講演

1908年 電車賃値上反対事件、罰金の2名を除き上告

6.16 電車賃値上反対事件、罰金の2名を除き上告関連記事『熊本評論』27号2面 <奇怪の風説>「電車事件、一審、二審無罪、大審院が破棄して宮城控訴院に移す、 ★判事間に激論ありしが陪席判事が其の地位の餌を以て動かされ有罪に決せるなりと伝う、被告は上…

1918年 近藤憲二ら北風会発足させる 1921年 大杉栄、北風会開催

1918年 6月15日 近藤憲二等北風会を主催す。近藤憲二、村木源次郎、石井鉄二の3名は主催者となり無政府主義者渡辺政太郎の追悼を兼ね同人の生前開催し来りし「実生活研究会」復活の目的を以て同志の会合を催せり参会者は主義者13名未編入者数名なりしが同志…

1930年 朝鮮人アナキスト団体《黒旗労働者連盟》結成

1930年 6月14日 朝鮮人アナキスト団体《黒旗労働者連盟》結成、丁賛鎭ら、38年1月解体。

1908年 大杉栄らに電車賃値上げ反対事件の逆転実刑判決

1908年 6月13日 電車賃値上げ反対事件、宮城控訴院有罪判決 西川光次郎重禁錮2年、岡、山口、吉川、大杉栄他2名は1年半、6ヶ月1名、罰金10円4名 『東京社会新聞』1908年13号 7月25日 掲載判決文より

1915年 渡辺政太郎、同志たちと講演会を開く

1915年 6月12日 渡辺政太郎、小石川区白山前町38番地なる同宅に於て同志者の「家庭会」を開く。 参会者は渡辺政太郎 小原慎三 吉川守国 原子基 久板卯之助 外に無編入者 古川啓一郎 井上猛一、若林ヤヨ(渡辺政太郎内縁の妻)の8名にして小原慎三の欧州戦争に…

1907年 大杉栄、巣鴨監獄にてアナキズムの研究

1907年 6月11日 大杉栄「午前中はアナキズムとイタリア語との研究をやる。アナキズムはクロポトキンの『相互扶助』と、ルクリュの『進化と革命とアナキズムの理想』というのを読み終わ った。今はグラーヴの『アナキズムの目的とその実行方法』というのを読…

1923 不逞社で望月桂の「アナキスト革命運動」の講演会

1923年 6月10日頃 不逞社で望月桂の「アナキスト革命運動」の講演会が開かれる

1922年 久板卯之助の追悼会、浅草でも開かれる

1922年 6月9日 久板卯之助の追悼会、浅草でも開かれる1926年 6月9日 「倉地啓司、新谷與一郎君の爆弾事件の公判は6月9日、東京控訴院にて開廷、次回7月9日」『黒色青年』4号「消息」掲載

1910年 宮下太吉第5回予審調書 「革命」を語る

1910年6月8日宮下太吉第5回予審調書 内容≪明科での生活、姉と同居≫答 錦輝館事件のときのような暴動とは言いましたが、あのくらいの程度のことではありません。それなら何も爆裂弾など必要ではありません。私は官憲に抵抗して暴動を起こすというので、諸官省…

1922年 伊藤野枝、大杉栄に四女ルイズが生れる

1922年 6月7日 伊藤野枝、大杉栄に四女ルイズが生れる 1923年 6月7日 大杉栄、林倭衛宛 「……地中海は実に平穏だ。……あしたの朝は早くポートサイドに着く。……また、お願いがあるが至急日本に向けて、いつかもお願いしたことのあるファーブルの本を送ってくれ…

1906年 宮下太吉、平民社訪問、爆裂弾の話をする

1909年 6月6日 宮下太吉、千駄ヶ谷平民社を訪れる <爆裂弾の製造法がわかりました>と話す 1916年 6月6日 大杉栄より伊藤野枝宛 「……四谷へ行ったら『中央公論』と『新潮』とが買ってあったので、さっき送った。……本当を言うと、僕は、僕に対するあなたの悪…

1906年 幸徳秋水、離米 1927年 銀座騒擾事件(黒旗事件)の判決。

1906年 6月5日 幸徳秋水、サンフランシスコを離れ日本に戻る1927年 6月5日 「消息」『黒色青年』9号 <銀座騒擾事件の判決・懲役八カ月、四名、懲役八カ月以上一年未満・少年法による・山崎真道、罰金二名>

1916年 大杉栄出席、同志茶話会が開かれる 宮嶋信泰方

1916 6月4日 同志茶話会 宮嶋信泰方 大杉栄出席、平民講演会は当分休止之を改称、会する者15名

1923年 大杉栄を乗せた船、マルセイユを出発

1923年 6月3日 大杉栄を乗せた船、「朝早く、碇をあげた」 マルセイユを出発

1916年 大杉栄書簡、伊藤野枝宛「朝鮮の同志が訪ねてくる(前日)」

1916年 6月2日 大杉栄より伊藤野枝宛「きのうから仕事を始めるつもりでいたところが、朝は青山女史が遊びに来る、午後は朝鮮の同志がしばらくめで訪ねて来る……とうとう10時近くなってから宮島のところへ出掛けた。……やがて宮島が戻って来る。少しおしゃべり…

1915年 大杉栄、荒畑寒村主催、平民講演会

1915 6月1日 平民講演会 豊多摩郡大久保百人町352 大杉栄ら、参会者21名 大杉発言要旨「日本に於ける社会主義運動の経過………日本社会主義協会の存在したる時代を第一期とし堺利彦及幸徳伝次郎等が萬朝報を退社して非戦運動を試みたる時代を第二期とす、幸徳が…