2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

1940年 朝鮮のアナキストによる治安維持法事件

1940年3月31日 文成勲、李宗文ら朝鮮人アナキスト組織の再建を企図して会合「日本の敗戦時国内の混乱を好機としてアナルココミュニズムの理想社会建設のため蜂起、これを準備するためアナキストを結集して組織再建を決定」

1924年 中浜哲が逮捕される

1924年3月30日 中浜哲逮捕される。活動資金確保のため、大阪に戻った中浜は、リャクを行い、実業同志会事務所から出たと ころを恐喝犯として伊藤孝一と共に逮捕される。倉地、逸見吉三も同行していた。

1912年 大杉栄、大久保百人町に移る。 1927年 逸見吉三、出獄

1912年3月29日 大杉栄、鎌倉より転住。東京府下大久保百人町352に移る1927年3月29日 福田大将狙撃事件に関連して東京の豊多摩刑務所に収容されていた。逸見吉三君は去る3月29日無事出獄した。

1920年、大杉栄出獄祝い 1923年フランスからの書簡

1920年3月28日 大杉栄、午後8時より自宅に同志服部浜次外8人を招き出獄祝いの小宴を開催1923年3月28日 大杉栄書簡林倭衛宛「……ヴィザの方 は、きょうのパリからの手紙によると、警察の証明がありさえすれば、貰えそうな形勢だ。…うまく行って出発は来月の10…

1910年 新村忠雄、明科の宮下太吉宅に再び泊 まる

1910年3月27日 新村忠雄、明科の宮下太吉宅に再び泊 まる

1926年 飯田徳太郎、母親、不逞社の同志、市ヶ谷刑務所に面会に行く

1926年3月26日飯田徳太郎、母親、不逞社の同志、市ヶ谷刑務所に朴烈、金子文子に面会に行く 「朴烈と文子とに死刑の宣告のあった翌日、三月二十六日の正午頃、僕は市ヶ谷刑務所の面会人控室横手の、砂利を敷きつめた庭で、暖かい陽光を浴びながら、同じく朴…

1926年 金子文子・朴烈への大審院有罪判決、死刑

1926年3月25日 金子文子・朴烈への大審院有罪判決、死刑……被告朴準植は日韓併合の真相を解せず被告金子文子は矯激なる偏見に囚はれ肯謀りて畏くも 皇室に対する大逆事犯を企画し因て以て光輝ある我国史に一大汚点を印したる其の罪責は極めて重きものと謂はざ…

1911年 大杉栄「春三月縊り残され花に舞う」 の句を読む

1911年3月24日 同志茶話会が開かる。神楽坂倶楽部。 大杉栄出席 「春三月縊り残され花に舞う」 の句を読む

1920年 大杉栄、刑期満了出獄 1926年金子文子・朴烈、結婚届け

1920年3月23日 大杉栄、午前7時10分同志近藤憲二外の出迎えを受け市内電車にて9時50分本郷区曙町13番地へ帰宅せり 1920年3月23日 <出獄の辞>大杉栄 『労働運動』5号掲載1926年3月23日 金子文子・朴烈、結婚届けを出す。この届けは死刑判決を前提とし、二人…

1910年 幸徳秋水、平民社を解体

1906年3月22日 大杉栄、東京監獄に移される 1910年3月22日 平民社を解体、幸徳秋水、管須賀子湯河原へ赴く

1927年 和田久太郎追悼会

1923年3月21日 大杉栄、林倭衛宛書簡「……マルセイユはいやなところだ。……20日午後8時。今リヨンに着いた。またあの色っぽい女のところにでも当分いよう。21日朝。」 1927年3月21日「和田久太郎君の追悼会」 和田久太郎君の追悼会は3月21日於神田松本亭にて…

1915年 『微光』第6号発行 

1915年3月20日 『微光』第6号発行 白山前町38番地「社告 本社は本月より移転」19213月20日 週刊『労働運動』7号発行1926年3月20日 大阪市此花区吉野町2丁目55に自我声社が生まれた。機関紙『自我声』創刊号を3月20日創刊した。『黒色青年』第1号消息欄 原…

1916年 平民講演会、大杉栄ら参加

1916年3月19日 平民講演会、大杉栄ら参加 牛込横寺町芸術倶楽部 午後7時より、参会者は大杉栄共14名(内未編入者2人)大杉栄は「無政府主義の歴史」談として佛国に於ける労働者総同盟組合組織より革命の顛末に及ひ…

1909年 幸徳秋水、平民社を千駄ヶ谷へ移す

1909年3月18日 幸徳秋水、平民社を千駄ヶ谷へ移す 管野須賀子、住み込む

1911年 大杉栄、大逆事件受刑者家族の慰問のため東京出発。

1911年3月17日 大杉栄、大逆事件受刑者家族の慰問のため東京出発。大阪市…三浦安太郎実父、武田九平の実弟訪問、百瀬晋と会う、三重県下月ヶ瀬に一泊 3月22日 帰京

1906年 日本社会党電車値上反対第二回市民大会

1906年3月15日 日本社会党電車値上反対第二回市民大会兇徒聚集罪なりと認め刑事訴追に付し検挙、大杉栄ら12名http://www.ocv.ne.jp/~kameda/akahatagiken-chro.html 布施辰治による社会主義者への初めての弁護、山口孤剣を担当

1926年 中浜哲 中浜哲「弥生空魏櫓枕高く霞往く黒蝶ぞ我散る花に舞

1926年3月12日 中浜哲「弥生空、魏櫓枕高く、霞往く、黒蝶ぞ我散る花に舞う」を記す 中浜哲、山崎今朝弥宛ハガキに遺す

1918年 大杉栄、久板卯之助、和田久太郎が会合を開く

1918年3月11日 大杉栄竝に久板卯之助、和田久太郎等の 主催に関わる同志の会合は…

1923年 『労働運動』12号発行 

1923年3月10日 『労働運動』12号発行 掲載論文<マルクスとバクニン下> 大杉栄 <坑夫の歌> 後藤謙太郎

1914年 大杉宅に百瀬晋と荒畑寒村が来訪 1916年 平民講演会

1914年3月7日 鎌倉の大杉栄宅に百瀬晋と荒畑寒村が来訪、百瀬は30日に退去、荒畑は二泊する(調査書記載)1916年3月7日 平民講演会が開催される。牛込横寺町芸術倶楽部。 大杉栄の外18名(未編入者5名)山川均、馬場孤蝶(未編入者)の講演あり、後雑談を交…

1926年 中浜哲、大阪控訴院死刑判決

1926年3月6日 中浜哲、大阪控訴院死刑判決となる。 中浜は裁判長に「私の上訴権は放棄」と告げる

『黒色青年』誌七号発行

1927年3月5日 『黒色青年』誌七号「消息」欄 <自我人社発行の金子文子氏著『獄窓に想ふ』は印刷中差し押さえられ発売禁止さる> <昨年六月静岡県知事官舎放火事件の関西黒旗連盟員植田増吉は懲役二年の判決、関谷、林両君は無罪で一月十七日出獄した。> …

1914年 大杉栄、堺利彦、荒畑寒村を訪れる

1914年3月3日 大杉栄、上京、堺利彦、荒畑寒村を訪れる

1926年 金子文子、朴烈、大審院第4回公判

1926年3月1日 金子文子、朴烈、大審院第4回公判 弁論文子の最終陳述、朴烈はしなかった