1922年、夜、神田で久板卯之助への告別式、追悼懇談会。


わが黒色青年連盟は1月31日午後6時半より芝協調会館で第一回の演説会を開催した。
東京地方に散在する無政府主義団体の最初の会合であった。会する者七百有余。二流の黒旗の下には6つのスローガンが挙げられていた。40数名の弁士はこのスローガンによって熱弁を振ったその殆ど大部分はお極りの弁士 「中止」。自然児の深沼君は、紙製のバクダンを壇上にたたきつけて検束、同横山君は私服警官と論争して検束斯くして横暴なる官権の圧迫の下に、遂に午後9時散会するに 余儀なかった。然しながら一つの行動は数万言の議論にも優る。会衆は街頭へ出た。黒色青年連盟と染めなされた黒旗は高く頭上に翻って銀座へ!!銀座へ!!