1915年 3月20日 『微光』第6号発行

白山前町38番地「社告 本社は本月より移転」

1921 3月20日 週刊『労働運動』7号発行

1924 3月30日 中浜哲、弾圧逮捕 入手資金確保のため、大阪に戻った中浜は、リャクを行い、実業同志会事務所から出たと ころを恐喝犯として伊藤孝一と共に逮捕される。倉地、逸見吉三も同行していた。(「逮捕」時は離れた地点にいたので免れている)
1926 3月20日 大阪市此花区吉野町2丁目55に自我声社が生まれた
    機関紙『自我声』創刊号を3月20日創刊した。 『黒色青年』第1号消息欄

 原本複写より確認
『自我声』(「CHIGASEI」と欄外にローマ字標記)創刊号 李春禎? 在大阪の朝鮮アナキストが発行「強者の宣言」朴烈、ほとんど伏字。後に『叛逆者の牢獄手記』に所収の同タイトルのテキストか? 「朴烈特別公判」朝鮮礼服に身を飾り朴烈事朴準植法廷に立つ 傍聴禁止 2月106日午前9時大審院法廷で開廷された。…この日鮮人及主義者検束10数名、警戒の厳重なる大阪のギロチン團公判と東西共に近時稀に見る有様なりき。(高)「ギロチン團控訴判決」「編集後記」朝鮮文で発行の予定が日文、とある。

1931 3月20日 農村自由連合機関紙『農村青年』創刊