1920年、大杉栄出獄祝い 1923年フランスからの書簡

1920 3月28日 大杉栄、午後8時より自宅に同志服部浜次外8人を招き出獄祝いの小宴を開催

1923 3月28日 林倭衛宛「……ヴィザの方 は、きょうのパリからの手紙によると、警察の証明がありさえすれば、貰えそうな形勢だ。…うまく行って出発は来月の10日頃だろう。……風も腹もほとんどよくなって、きょうは起き上がった。が、まだフラフラする」

1923 3月28日 伊藤野枝

「すぐドイツへ行くつもりで2日にここへ来たのだが、それ以来風引きで寝たきりでいる。もっともパリを出る晩から少しいけなかったのだけれど。……僕についてのいろんな風評は日本や支那の新聞でちょいちょい見ている。……社での問題の、結局は大衆とともにやるか、純然たるアナキスト運動で行くかは僕もまだ実は迷っている。純然たるアナキスト運動というそのことにはまだ僕は疑いを持っているのだ。これはヨーロッパで今問題の焦点になっている。そのことは通信で書いて行く。風で寝た二日目か三日目かに『労運』への第一回通信を書き出した。そして30枚近く書いてて熱でほとんど倒れるようにして寝てしまった。あしたからまたそのあとを書きつづけよう。要するに大会を理解するために、大会前のいろんな形勢を書こうと思うんだが、それだけでも大ぶ長くなりそうだ。『改造』への通信もまだ未定のまま放ってある。これもこんどこそは本当に書き上げる。原稿は××に宛てよう。大会はまた日延べになって、ところもどこかほかに変ることになった。ドイツではとてもやれそうにないのだ。しかし、とにかく僕は今すぐドイツへ行く。ベルクマンやエマもいるようだし、マフノと一緒に仕事をしたヴォーリンなどという猛者もいる。ロシアのことはベルリンに行かないと分らない。本月中にはその手続きができそうだったのが、もう10日くらい延びそうだ。もしできなければそっと国境を歩いて、越そうと思っている。それもイタリアとイギリスへ行けば僕の用事は大がい済みそうだ。大会が延びるなら延びるで、その前にできるだけあちこち廻って来たい。愚図愚図して大して研究するというほどのこともなさそうだ。材料だけ集めればたくさんだ。1年の予定はたぶんもっとよほど縮まるだろう。……もう目がまいそうだ。2月号の『労運』見た。3月28日」