1919年、久板卯之助、革命を語る

1919 4月1日 <状勢>北風会例会の席上久板は「如何に千万の労働組合を作るも無政府主義の自覚なき組合ならば革命に何等の用を為さざるのみならず革命の機を失わしむるものなりり云々」と述べたり

1920 4月1日 午後7時より服部浜次主となり神田錦町貸席松竹亭に於て大杉栄出獄歓迎会兼荒畑勝三大阪行きの送別会を開催

監獄に居るのは十年も三ヶ月も同じ事です十年も左程永いとは思われません三ヶ月も短いとは思いません……私は最早青年ではありません……無題 監獄は■いのちはありま……痛いです又私は……風邪に罹て居るのですが12月より3月迄入獄中一度も風邪を引きません又持病の肺病も■くなりました、これからは労働運動にも携わる心算です、労働問題は小さい問題ではあません、そして世間の人が云う様な解決をしましたなら夫れこそ取り返しは付きません、生活の最低限度に付労働条件を定むることに努力しなければなりません、私は最早青年ではありませんし其私(?)に付きまして■■もあり方法もありますが今日は之を述べません………になりましたら何等かの運動を起しますから皆さんの援助を■わなければなりません

無題 私は入獄中は常々差入ます事があります其は十年余も監獄生活をして居る某氏を救い出したいと思う事です某氏を救い出す事に就て皆さんと相談する考えで居りましたが後日の機会に■ります

無題 美術家や文士は少し位監獄に這いらなければ真の美味は分りません又大学の芸術味を弁ずる事は出来ないと思います

1925 4月1日 『労働運動』第9号  <治安維持法の出現に際して> 

<市ヶ谷にて> 和田久太郎

<馬来半島に於ける無政府主義運動> 山鹿訳

<醜い尻っ尾> 「和田君等の事件が予審終結となり、…三月七日、治安維持 法が上程」

<爆弾暗殺事件予審決定書>

<後藤君の追憶> 和田久太郎

<同志村木源次郎君を憶う>  和田久太郎

<村木君へ> 古田大次郎

消息 ■村木君埋骨式、二月八日、横浜

1926 4月1日 『労働運動』15号 <秋田から> 和田久太郎 <消息>高島三次君下獄、懲役2年 朴烈君の裁判 ギロチン社事件高裁判決