1914年 大杉栄、幸徳事件被弾圧者へ救援

1914年4月14日大杉栄、坂本清馬宛に手紙発信。
16日に坂本は手にする。

大杉栄は<坂本の姉が心配しているとして司法省に谷田監獄局長を訪ね、局長と典獄から二件の許可を得る。<書籍差入れを大杉が受持つ、坂本からの書信は交互に大杉栄と坂本の家族に発信する、大杉栄と坂本の家族も交互に発信する>

1919年4月、金子文子16歳で朝鮮を去る(12日)14日、山梨、塩山駅に着く