1918年1918 5月6日 大杉栄、労働新聞配布 1926年 5月初旬 《関西

1918年 5月6日 大杉栄、<状勢>友愛会小松川支部の講演会に聴衆として和田久太郎を伴い出席「労働新聞」を配布

1926年 5月初旬 《関西黒旗連盟》成立

「関西に輝く黒旗の光り」《関西黒旗連盟》  『黒色青年』4号

相続いて関西の同志は一人、二人と或る者は長い既決囚へ、或る者はギロチンへの尊い犠牲が払われて行った。そして密かに大衆的運動も、既に二、三年来『黒旗連盟』なる名称の下にその結束と画策とは為されていた。       

 然し当時、猶僕等は事態が謾さなかった、斯くて僕等は関西紡績組合、関西自由労働者組合等の労働組合の仮面の下に、唯思想団体としては、『黒社』一個を協力援助する事によって、諸君の既に知る如く、自由連合主義の組合運動と黒旗運動とは混合して其 解放と闘争は続けられつつあったのだ。       

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おお関西の僕等もどうして案閑としてる事ができよう?かくて闘ひ社、黒社等及び神戸和歌山等の同志を中心として四月中旬其の組織の具体化は開始された。斯くて僕等が既に『浜哲死刑執行前後』なる一報告書とその宣言書に告げ得た如く、僕等はしかも屈せず遂に万障を排して本年五月初旬、関西黒旗連盟の成立を見たのである。  

 今や関西の空にも、黒色の妖怪は横行する。まかれた努力の種は生えた。その上に太陽の慈光はそそぐのだ。越えて五月十四日夜鉄君の追悼会に黒旗青年十八名の廿日間拘留と大阪追放等の暴圧と闘ひつつ遠征し、或いは、岐阜に、或るいは京都に大々的に僕等のプロパガンダによって戦線拡大に務めつつある。そのスタートは切って落とされたのだ。   

            略