1924年 朴烈 第十回訊問調書

1924年 5月12日 朴烈 第十回訊問調書 市谷刑務所

「しかし俺が日本の皇室、とくに天皇、皇太子を対象の一つとくに最も重要なるものの一つに挙げたのは第一に日本の民衆に対しては日本の皇室がいかに日本の民衆の膏血を搾取する権力者の看板であり、また日本の民衆の迷信している様な神聖なる事神様の様な者では無くて、実は其の正体は幽霊の様な者に過ぎない事を即ち日本の皇室の真価を知らしめて、其の神聖を地に叩き落す為、 第二に朝鮮民衆に対しては、同民族が一般に日本の皇室を総ての実権者であると考えて居り憎悪の的として居るから、この皇室を倒して朝鮮民衆に革命的独立的情熱を刺激するが為、 第三に沈滞している様に思わるる日本の社会運動者に対しては革命的気運を促がす為にあったのだ。 日本の天皇は病人ではあるが皇太子と共に皇室の表面的代表的なる事には同価値である。 ことに俺が昨年の秋の皇太子の結婚期に爆弾を使用する事を思い付いたのは、朝鮮の民衆の日本に対する意志を世界に対して表明するには最も都合の好い時機だと思ったからであった。」