1906年 宮下太吉、平民社訪問、爆裂弾の話をする

1909年 6月6日
宮下太吉、千駄ヶ谷平民社を訪れる
<爆裂弾の製造法がわかりました>と話す


1916年 6月6日 

大杉栄より伊藤野枝
「……四谷へ行ったら『中央公論』と『新潮』とが買ってあったので、さっき送った。……本当を言うと、僕は、僕に対するあなたの悪口を一番きいてみたかったのだ。僕に対するあなたの今までの不満とか不快とかいうものを、一つ一つ詳細に聞いてみたかったのだ。今なお続いているものも、またすでに消えさったものも、いっさい。そして僕もまた、あなたに対して今まで思っていたことを。すべてあなたに打ちあけてみたかったのだ。……お互いにあまりに好き合っていたということと、したがって比較的によく理解し合っていたということと、およびお互いにあまり接近することのできなかったこととのためについにその交渉を十分に経ないで恋愛関係に陥ってしまったのだ。………けれども僕等は、二人の間のこの必然的な恋愛にはいってしまった上は、さらにこの交渉をできるだけ厳密に深入りさせて行かなければならない。……
……きのうは朝からのお客で、夕方になって幾度目かの新しい客が来ている時に、思いがけないあるハガキに驚かされた。それは、いつか書いた僕の幼な友達からのもので、その亭主が不意に死んだという知らせだった。すぐ二本榎のその家まで行って、とうとうけさまで一睡もすることができなかった。朝飯を食うと、午後の3時に葬式が出るまでの間のつもりで、神近のところへ行って寝た。そしてすっかり寝込んでしまった。葬式にも間に合わず、それに今晩はあるフランス人と会うはずになっていたので、夕飯前に神近と一緒に下宿に帰った。あなたからの手紙と原稿とが来ている。…… 今、フランス人のところから帰って来た。……」