1908年 官憲と同志の大衝突(上野停車場で山口孤剣を迎える)

<官憲と同志の大衝突>赤旗の擁護 東京三木生報 
 評論社諸君、昨6月19日我等同志は上野停車場附近に於て、又もや官権との大衝突を起しました、而して事の原因は言うまでもなく、当局俗吏の無法なる干渉、謂れなき圧制、乱暴なる喧嘩仕掛けより起ったのです。

 同日は山口孤剣君の仙台より帰り来のを迎える為に十余名の金曜会連と東京社会新聞派の者十名足らずと木下逸見其他の人々数名とが上野駅に集った、一同の駅に着いた時孤剣は早や下車して居た、西川の来るを待つこと約一時間、彼は来るや否や直に孤剣を俥で自宅に拉し去った、敵も味方もアッケに取られた様子であった。

 孤剣の車の走り去るを眺めつつ吾々は駅の入口に四本の赤旗を振りかざして勇壮なる革命歌を一回歌った、下谷署からは某警部が十余名の制服巡査と無数の犬とを引率して来て周りを警戒して居た、革命歌の一回終ると同時に四本の赤旗を先頭に一同は行進して本郷に行こうとした二三間進んだ時警部は吾等の旗を巻けと迫った、併し旗は四本共益々高く掲げられた、今迄控えて居た巡査の一群と無数の犬とは此時一時に飛びかかって旗をモギとろうとした、揉んで揉んで揉み散らした揚句、荒畑寒村は無数の巡査と犬とに擁せられて両手を高く後ろにねぢ上げられて駅前なる交番の中に引きづり込まれて居るのを見た。此時彼は猶お盛んに無政府主義万歳を連呼して居た、一同の視線は一に彼に集った、そして彼を取返さんと犇めいた、警官は最早彼と一本の赤旗と駁駁駁を護る為に殆ど皆一所に集った、此時猶お交番の奥の方で無政府主義万歳と云う荒畑の嗄れた声が絶間なく聞えて居た。

 少時警官と少ぜり合いのあった後大杉と百瀬と此頃横浜から来て居る村木と云う男の三人が交番の中に跳り込んだ、中は立錐の余地もない皆直に立って騒いで居るばかり、但し百瀬が其の駒下駄で傍らの犬を蹴って蹴って蹴散らして居るのを見た、中なる四人と外に在る一同と相呼応して無政府主義の万歳を叫ぶこと数回、今度は一同がドッと交番の中を目がけて押寄せた、建物の倒れなかったのが寧ろ不思議に思われる様な勢いで、そして押寄せた一同の引返す時に、中なる四人も共に、旗は不相変高く掲げられたまま、万歳々々と連呼しつつはねて出て集った。

 

 四本の旗は又た先頭に翻った、一同之に続いて革命歌を勇ましく歌いつつ進行した、此時分警官の一群が何うして居たので頓と分らぬ、が唯警部丈けは執着くも旗を目かけて飽く迄も之をモギ取ろうと苦んで居たのを見た、彼は上野から電車の交差点まで、横面を撲られ洋傘で頭を駁(ぶ)たれ、首を引掻かれ、時には誰に首ッ玉にまくり付かれて危く倒れんとしたり杯して、踉々として付き纏うて来たが、此処迄来ると流石に彼も見切りを付けて、サモ口惜げに佇立したまま眺めて居た、四本の赤旗は陣頭に翻って居る革命歌は間断なく歌い続けられた、切通しから春木町を経て西川宅迄此の勇壮なる行軍は何物にも妨げられるる事なしに衆目を聳動しつつ無事に到着した、西川宅前で山口君の健康を祝し無政府主義の万歳を連呼して、これで一同分れ去った、実に近来珍らしい勇壮な示威運動であった、殊に一旦捕らえられたる人と旗とを奪い返して思う様警察権を蹂躙して而かも何の失う事もなしに斯かる勇壮なる示威運動を成し得たと云うことは一同の歓びに堪えない次第であります(6月20日認)

 『熊本評論』26号 1908.7.5 発行 七面掲載