1927年 自連、黒連、サッコ・ヴァンゼッティ死刑反対運動

1927年 8月21日

自連、黒連、サッコ・ヴァンゼッティ死刑反対運動   

「サッコ・ヴァンゼッティ」に関して『自由連合』1968年8月掲載
 
 8月21日。その夜、築地小劇場は満員、場外にあふれたデモ隊と場内の叫びとが呼応した。40名の弁士は次々と中止と検束の中に「サッコ、バンゼッチを無条件に釈放せよ」の抗議が緊急可決され、マサチュセッツ州知事フーラーに送られた。10時散会、場内外一丸のデモとなって、約千人、アメリカ大使館に向かい、警官隊の抜剣までした圧力に抗して、先頭は米大使館に達した。石川三四郎らがそこで検束された。その翌朝に、東京印刷工組合に集合した各団体代表から5名をえらんで米大使館に昨夜決議した抗議文を携えて行き、サスベリイ書記官に手交、帰途日比谷署に検束。同日朝日新聞に記事の誤正を要求した13名も一斉検束。右抗議の決議は次の言葉で締め括られていた。《われ等の要求は全日本、全世界の要求である。貴下の慎重なる措置は、必ずやこの要求に添うて誤りなきことをわれ等は確認する。》 国際弾圧防衛委員会 関東黒色青年連盟  文芸解放社  反政党新聞社  農村運動連盟  東京瓦斯工組合 サラリーマン同盟  純労働組合  芝浦労働組合  関東総合労働組合  関東労働組合自由連合


「革命劇以上の演説会」横倉辰次
『銅鑼は鳴る、築地小劇場の思い出』より

 この日は入場定員を無視して千人以上の聴衆が入場した上に同数ぐらいが場外に溢れて劇場を取り巻いていた。…主催者の一人ある後藤学三が舞台に駆け登り「このような抗議集会を屋内でしても意味がない。諸君、街頭へ街頭へ」と絶叫したのがキッカケになり待機していた千人あまりの聴衆と警官の間で乱闘となり、警官を押しまくった聴衆と合流した。そして待機していた警官隊と正面から揉み合いとなった。警官隊は騒動の拡大を恐れたし群集の銀座方面への流出を防ごうと懸命であった。この時、橘あやめが、紺絣の筒袖に鳥打帽子という男装でいたのを発見したポリ公が検束しようとしたのをかばって鋭いメリケンをくわせた者がいた。これが見事にきまって警官の顎にかけたベルトが千切れて空中高く舞った。上したポリ公が抜剣した。これがキッカケで警官隊と群集の間に乱闘が起きた。…乱闘は続き双方に多数の怪我人を出した揚句、数十名の検束者を出し、それを奪還しようとする者との間に更に激しい乱闘が起きて、さながら市街戦を思わせる激突、騒動となり、芸術の殿堂である築地小劇場の入り口の階段は鮮血に染められた。この日、群集の一部はポリ公の阻止を排除して米国大使館へ雪崩れこんで抗議した。


「日本における抗議運動・サッコ、ヴァンゼッティ」
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/sacco-vanzetti.html