1924年 和田久太郎、福田狙撃 1919年 大杉栄、北風会に出席 1923

1919年 9月1日 
[大杉栄]午後8時小石川区指ヶ谷町92番地特別要視察人若林ヤヨ方に開催せる北風会例会に出席せり

〇尚本名<大杉栄>は雑談中左の談話を為したり (9月3日吉田一の公判傍聴の件…) 予と近藤、和田、中村の四名を以て労働運動と題する雑誌の発刊を計画し明日より準備に着手し10月1日第1号を発刊せんとす内容の詳細は9月15日の会合に発表すへし十分の応援を希望す云う


1923年9月1日

朴烈、午前中、滝野川、高麗社にいる張祥重を訪問


1924年 9月1日 

和田久太郎、大将・福田雅太郎の狙撃失敗、逮捕される

 和田久太郎が福田雅太郎を狙った理由。第二回公判での意見陳述(1925年6月)

 今、仮に一歩を譲つて、判検事の僕に言はれた如く、また福田自身の言明の如く甘粕の行為は決して福田大将の与り知らなかつた所だとした所で、しかし、あの虐殺が決して甘粕等自身の自発的行動でないといふ事に就いては、多くの眼明きの人々が明白に認めてゐることだらうと思ふ。
 それ故にこそ福田自身ですら、予審調書に
『しかし、私を命令者と和田等が思ふのも亦無理のない点もある。何うも甘粕の裁判の時の態度が曖昧だつたので、私ですら他に殺させた者があるのではないかと疑つてゐる。しかし、軍法会議で裁判も終つた事だから何んとも仕方がない』と述べなければならなかつたのである。

 然して、この誰も疑ふ当然の疑ひを僕が疑つて、その背後の全責任者として僕は福田大将を睨んだのである。
 僕は、福田を甘粕事件の黒幕だと推定するに役立つ三つの材料を揚げる。
 第一。彼は当時の戒厳司令官である。
 第二。九月二日、所々に貼り出された『鮮人社会主義者等が放火し暴動しつつあれば、人々はよく団結して彼等に備へよ』云々の掲示板には、な戒厳司令官福田雅太郎と署名してあつた。
 第三。当時、戒厳司令官より各青年団在郷軍人団に発したといふ謄写版刷りのビラの中に、『社会主義者、鮮人を徹底的に取締れ』と記されてあつた。
 即ち僕は、この三つの事実に思ひを潜めて、そして、前述の誰もが抱く疑ひである甘粕の背後の、最も明白な第一の責任者として福田大将を認めたのである。
 私は思ふ。福田雅太郎の直参旗本であつた憲兵隊は青年団在郷軍人団等の及びもつかない忠実さを以つて、その司令官の内訓にのつとつて、大杉夫妻を『徹底的に取締つた』ものであり、殊に余りに徹底しすぎて、僅かに六才の宗坊をまで『取締つて』了つたのである、と。
 しかし、これでも猶、福田が『その推定は間違つてゐる。私は甘粕事件には少しも関係がない』といふならば、僕は福田雅太郎にお願ひする。
 福田も、甘粕の黒幕があるやうに疑つてゐるのだから、幸い甘粕がのこのこ酒蛙々々と娑婆へ出て来た今日である、その疑ひを何か明白にして貰ひたい。そしてその黒幕を発いて、僕の『間違ひ、思い違ひ』をして翻然と改めさして慾しいものである。
 が、その背後の黒幕は、余りに大きく数も多さうなので、よもや福田もそれは出来まい。出来なければ男らしく責を負つたらどうだ。『何うも軍法会議が済んで了つたから仕方がない』などと、暗に自分達の軍法会議をけなしてまでその責任を避けやうといふのは、余りに軍人らしくない態度ぢやないか。部下に絶対服従を強ゆる権力を握つてゐるものならば、仮りにその部分の仕出かした誤ちとしても、甘んじてその責任を負つてこそ軍人じやないか。」

 以下は報道された新聞記事

『東京朝日新聞』 9月2日

「大杉の復讐だ」と和田取調べに豪語す

第一弾が空砲だと知らずに  「殺した」と思い込んで

《写真》そ撃犯人和田久太郎<他にない写真>

《写真》負傷を調べて貰う福田大将 四段 30行以上

「豫ての覚悟」大将元気で語る 軍刀で突刺そうと思ったが可哀想で止めた親分と恋人を相次いで喪って近頃は憂鬱な和田純労働者出の人物最近の和田の生活アルス新聞の編集 此際、主義者大検挙か多数の連累あるものとの見込みで即夜、近藤等三名を検束 ■村木源次郎、近藤憲二、延島英、古川桂を同署に検束し、労運社外数軒の家宅捜査来合せた和田栄太郎を検束した(註、村木に関しては誤報
更に四名検束さる日比谷バラック
■古賀勝之 22畑山清次20原田利久28山田作松30孰れも信友会に関係

今暁零時から仮予審を開く和田同道で現場臨検

9.3夕刊9.2発行

平然たる和田きょう収監さる 夜を徹して厳重な取調べを続行 ピストルは大杉の土産物 今度の兇行は全く単独行動か

■警視庁では一日夜駒込署に古川桂、和田栄太郎、山田孝治、近藤憲二の四名を検束したが村木源次郎は最近福岡から上京した儘行方が知れず、又延島英一、川口慶介等の同志も依然行方が不明なので極力行方を捜査している、

大杉の亡きのちはひっそりしている一味 懲役四、五年位か和田の罪状

9.5
いづれも同系統らしい 四箇所の爆弾事件 重大視される両名の検束

■村木源次郎、川口慶介の行方  山川均の逮捕命令