1925年 和田久太郎書簡[橘あやめ宛]

1925年 9月4日
和田久太郎書簡[橘あやめ宛]
「其後お変りもありませんか。遠くアメリカから私共の事を御心配下さる御言伝ては、いつも近藤君から有難く聞いて居ります。僕の求刑を知つて大いに驚かれた由、こんなことは米国ぢや見られないでせうが、之れが日本の国の正体なんです。
 僕は、死刑は素より覚悟の上です。九月十日にどんな判決があつても、決つしてお歎げき下さいますな。

 …村木はあの体ですから、捕つたら駄目だとは思つてゐましたが、それにしても、せめて法廷にだけは起たしてやりたかつたです。僕が思はず枕頭に涙を流したのを見て、彼は『泣いたつて…しようが…あ、あ、あるかッ』と切れ切れな言葉で僕を叱りました。そして、既に意識を失つた死体同然の体を、タンカに乗せられて監獄を出て行きました。それは一月半ばの風の激しい、寒い闇の夜でした。」