1925年 古田大次郎処刑される 2005年追悼の集い

1925年10月15日

9月10日、東京地裁、死刑判決。弁護人の山崎今朝弥、布施辰治は反対したが、古田は死刑を受け入れ、控訴せず1925年10月15日午前8時25分、絞首される。古田の純真な思いが表現された獄中手記『死の懺悔』が出版されベストセラーとなる。続けて『死刑囚の思い出』も林倭衛による古田の肖像画を表紙として刊行される。



2005年10月15日土曜 午後2時 会場等の問合せは kameda@s2.ocv.ne.jp

話し手<井家上隆幸さん> 

『黒旗水滸伝』における大正──ギロチン社の人々
 
「時代のくらがりを照らしながら大杉栄や難波大助や村木源次郎や古田大次郎辻潤らとともに歩いていくのである。その歩みは既知の<過去>を遡るというだけではなく、いくつもの可能性をもった<現在>としてそこを歩む大杉栄とおなじように歩くことなのである。そのように歴史を歩けば、いくつもの可能性のひとつが実現したものとしての<現在>がみえてくる。その時代を生きた人々の希望や絶望、喜びや哀しみ、恨みや諦めのひだひだをわがこととして生きることができる。」『黒旗水滸伝』(竹中労著・かわぐちかいじ画)解説(井家上隆幸)より

「僕が数年来空想し来った絞首台上の死が、今目前に実現されようとしている事を思えば一層その感を深くする。僕は、若くて、健康だ。そして希望は残っている。それだのに、僕は死ねるのだ。僕は、僕の若い生命を惜しむ。…だが、僕は、このままに死すればこそ、僕の生命が不滅なのだと知っている。僕は、僕の死を悲しむまい。僕を殺す人達を憎むまい、僕は広い深い愛を信じて死のうとするものだ」古田大次郎