1922年 大杉栄、野枝宛書簡「自叙伝執筆状況」

1922年 11月8日 

大杉栄書簡

伊藤野枝
「きのうは青年会館で、大島製鋼所の連中の、官憲横暴弾劾演説会というのがあるはずだった。それには出ないつもりで、おとといこっちへ(鵠沼海岸)来たのだが、きのうの昼すぎになって急に行って見たくなったので、魔子を鎌倉へ連れて行って長芝(村木源次郎の親戚)へあずけて、一人で上京した。……一晩は検束のつもりで行った。が、服部へ行って見ると、そんな演説会の様子はちっとも知らず、またその日の朝刊にも夕刊にも暁民会連の検束のことの外には何も書いてなかった。大島へ電話をかけるとオジャンになってしまったのだそうだ。…………きのうの半日ときょうの半日とで、<自叙伝>の今まで書いた分を直してしまった。書くときにはずいぶん一生懸命になって書いたんだが、今見るとあちこちいやになって仕方がない。が、直すのも大変だし、大がいはそのままにしておいた。すぐ改造社へ送って、組みはじめさせる。………」