1926年 金子文子の墓に関する報道 1927年 関東黒連の後藤ら検束

1926年12月13日

朝鮮ムンギョンの金子文子の墳墓
官憲の意図を呈した報道
訪ふ人もない金子文子の墓 聞えるものは鳥の声ばかり 発掘の憂更になし
日をふるにつれ今は漸く世間の人の注意から遠ざからうとする金子文子の遺骨を埋た身北面8霊里の朴庭植所有墓地は引続きその筋から身北駐在所と連絡をとつて厳重監視を怠らぬ由であるが未だ1回だに墓前を訪ふ者なく尚州山脈につゞく山また山のふもとで耳に入るものは鳥の鳴く声ばかりくらい昼なほ寂しとしたところである。 『京城日報』


1927年12月13日

中国地方、岡山県津山町鶴山館に於て「労農党撲滅社会問題批判大演説会」を開催。
官犬の暴力的迫害の中に準備の為、先発した関東黒連の後藤學三、岡山一般の秋本義一、
田中、有安の諸君は検束され、後藤、有安の二君は検事拘留にされている。
『黒色青年』第15号1927年12月5日