1920年 大杉栄、有楽町に移る 1921年 近藤憲二、和田久太郎『労働

1920年 12月25日 

午後2時頃有楽町……事務所兼寝室……

大杉栄は日本社会主義同盟に対し無政府主義者たるの…… 本人(大杉)は午後2時頃麹町有楽町3の1露国人「アレキサンダークリチャノフスキー」方を訪問したき■中止さるも主■は英語に通ぜず亦本名(大杉)は露語に通ぜざる為……波蘭陸軍武官「ウィンコフスキー」と会見中波蘭公使館員「ヴァリリワエル」に通訳依頼し、自分は新聞記者にたる折柄■■「ジャパンアドバータイザー」紙上にて貸室ある事を見て訪問したる■■なりと述べたるを以て露国婦(?)人は即座に之を承諾し一ヶ月分■■百十円を……27日より止宿することとなかりし……


1921年 12月25日 

近藤憲二及和田久太郎の両名をして同(『労働運動』)新聞発行事務に当らしめつつあり