1908年 『高知新聞』幸徳秋水「病間放語」掲載 1910年 平民社新年

1908年1月1日

高知新聞幸徳秋水「病間放語」掲載 ☆幸徳秋水
「文明の日本、戦勝の日本、樺太を占領し、朝鮮の保護するの日本、三井と岩崎の日本においても革命はたしかに活ける問題なり」
フィリッピン人・ベトナム人朝鮮人中、また気概あり、学識ある革命家、けっしてすくなきにあらず。彼らの運動が単に一国の独立、一民族の団結以上にいでざるの間は その勢力や、はなはだ見るにたるなしといえども、もし東洋諸国の革命党にして、その眼中国家の別なく、人種の別なくただちに世界主義・社会主義の旗幟の下に大連合を形成するに至らんか、20世紀の東洋は実に革命の天地たらん」

1910年1月1日

 幸徳秋水、管野須賀子、宮下太吉、新村、平民社(千駄ヶ谷)の
新年会の座興で爆裂弾の容器としてのブリキ缶を部屋内で投げる

1916年1月1日 

 大杉栄ら刊行の『近代思想』発禁処分を受ける