1914年 8月27日 

大杉栄 <大久保より>『近代思想』9月号
「いよいよ廃刊号を出す事となった。……僕等の新しい雑誌は『平民新聞』と名づける事にきめた……しばらく来なかった下痢と風とに襲われて了った。そして13日から19まで寝て了った。20日の朝は、起き上がって書き始めようと思っていたが、こんと。は保子が風にかかって起き上がれない。僕は早速参考書を10冊ばかりりカバンにつめて葉山へ出掛けた。しかし葉山の3日間は、只大体の筋をつくったのと、………僕の論文集『生の闘争』が9月中旬に新潮社から出る。……同じく9月中旬、新潮社の新潮叢書の一篇として、僕の翻訳ダアインの『種の起源』が出る。それから、これも9月中旬頃、実業之世界社の新智識叢書の一篇として、僕の翻訳ギュスタヴ・ルポンの『物質非不滅論』が出る。…本月16日発行の『第三帝国』に僕の『欧州大乱と社会主義者の態度』が載った。そして『第三帝国』は、僕の外に2,3の原因はあったそうだが、発売禁止になった。………」