1926年 中浜哲、面会が妨害され始める

1925年4月6日
古田大次郎、獄中手記「ドストエフスキーの小説にある。いつも文章の下手なのを悲観してゐる。有島武郎氏は死ぬ前に一度秋の空を見たいと言つたさうだ」

1926年4月6日 

中浜哲、山崎今朝弥宛の手紙で面会がないことを明らかにしている。「大阪のA女子のハガキ、3月27日<あなたに面会に来られた方々は皆検束されました。大阪の人達も全部検束されて居ります。今日私が参りましたが、面会するのだったら引っ張る、との事でしたから残念でしたが子供を伴れていたので帰ります>…この十日余り誰も来ないことを雄弁に物語っている」。