1913年 大杉栄、『近代思想』「大久保より」

1913年 4月22日 大杉栄 <大久保より> 「同人講演会、青年会館から会場貸与を断って来た………一士官学校生徒があった…その軍人が二三日前に、危険思想を持っていると云う理由で、もう来月卒業と云う処を、退校を命ぜられて了った。死んだ横田兵馬も幼年学校を卒業する間際に、矢張り危険思想のかどで退校させられたのだったが、その後アナーキストになった。……19日の夜、近代思想社第4回小集を、例の鴻の巣に開く。12名参加……16日午後、日比谷公園機械体操場の茶屋で、堺利彦、野澤重吉の発起で平民会と云うものが催された。集まる者40余名……5銭の会費でみかんとせんべいとすしを食って、斎藤兼次郎の尺八、添田平吉のよみ讃り歌、蓄音機と云うような余興で、半日遊び暮らした」 『近代思想』5月号