1916年 大杉栄より伊藤野枝宛 書簡
「きのうは、夕方土岐と会うはずになっていたものだから、安成と一緒に出掛けて読売へ行くと、そこへ荒川が来る、さらに四人で社を出ると、路で荒畑に会う。こう大勢になると、夕飯を食うのも大変だし、ともかくもとカフェ・ヴィアナヘはいる。いろんな話のついでに、野依の話が出て、ついに野依を呼ぼうということになる。
……しかし、ここ10日ばかりの間に、あいつも四年間の牢獄生活にはいらなければならぬのだ。
………それは例の堺(堺氏をそこへ呼んだのだ)の冷笑だ。いきなりコップを額にぶつけた。
……堺と僕とのイキサツは『生の闘争』の中にある<正気の狂人>以来の、またいつものあの意味のことなのだ。いつかも、やはり同じようなことで、平民講演で口論した。
それがついに、ここまでに進んで来たのだ。他のみんなは帰ることになって、野依と僕と二人だけ、その待合いに泊った。もう一時近かったので、女を呼ばずに、ただ一人で寝た。
……実は、待合いというところはゆうべが始めてなのだ。
………お互いの経済上のことは、……保子についての僕への忠告、およびあなたの心持ちは、本当にありがたく聴く、そうでなければならぬはずなのだ。
………あなたは三人のうちでも一番優越(僕の愛ということばかりではない)した地位にいるのだ。………」