1916年 大杉栄より伊藤野枝宛 書簡

1916年 5月9日 大杉栄より伊藤野枝

「きのうは、夕方土岐と会うはずになっていたものだから、安成と一緒に出掛けて読売へ行くと、そこへ荒川が来る、さらに四人で社を出ると、路で荒畑に会う。こう大勢になると、夕飯を食うのも大変だし、ともかくもとカフェ・ヴィアナヘはいる。いろんな話のついでに、野依の話が出て、ついに野依を呼ぼうということになる。
 
 ……しかし、ここ10日ばかりの間に、あいつも四年間の牢獄生活にはいらなければならぬのだ。
 
 ………それは例の堺(堺氏をそこへ呼んだのだ)の冷笑だ。いきなりコップを額にぶつけた。

 ……堺と僕とのイキサツは『生の闘争』の中にある<正気の狂人>以来の、またいつものあの意味のことなのだ。いつかも、やはり同じようなことで、平民講演で口論した。

それがついに、ここまでに進んで来たのだ。他のみんなは帰ることになって、野依と僕と二人だけ、その待合いに泊った。もう一時近かったので、女を呼ばずに、ただ一人で寝た。

 ……実は、待合いというところはゆうべが始めてなのだ。
 
 ………お互いの経済上のことは、……保子についての僕への忠告、およびあなたの心持ちは、本当にありがたく聴く、そうでなければならぬはずなのだ。

 ………あなたは三人のうちでも一番優越(僕の愛ということばかりではない)した地位にいるのだ。………」