1924年 古田大次郎逮捕 1925年 古田大次郎獄中手記より「死刑の宣

1924年 9月10日
 古田大次郎、弾圧
上蛇窪の根拠地に刑事を派して内偵させた所、倉知は七月二十八日金策のため下阪して六畳、三畳二間の長屋には古田と村木が潜んで既に製造された爆弾十数個が積み上げられてゐることが判り、万一踏込みが知れるや爆弾を爆発し自殺しかねまじき形成なので刑事は二日三晩といふもの同家を遠巻にして捕縛の方法に苦心の末遂に多少の犠牲者を出す覚悟でいよいよ九月十日午前一時頃刑事部からは土屋、出口、恒岡の三警部及び特高、内鮮刑事部からそれぞれ敏腕な刑事三十名を選び全部変装してこれを三隊に別ち、一隊は各道路の要所々々を固めて、逃走を防ぎ、一隊は家の周囲を取囲み、残る一隊の十人こそ機を見て家内に飛び込み犯人を捕縛すると云ふ手はずを定め中谷刑事部長等はこれ等の三十名の決死隊を集めて出発に先だち一場の訓辞を行つたのである。…この時電報配達人の如く装つた平山刑事はは表戸をたたき「電報々々」と叫ぶやそれと知らぬ古田は寝衣のまま起き出で戸を開き電報を受け取るべく片手を出したせつ那、……

夜になるとコツコツ 隠れ家の怪

上蛇窪の隠れ家は差配金子峰蔵から七月十五日から一月廿二円敷金三ヶ月分として借り受けたものであるが誰が住んでゐるのか近所の者には顔さへ見せなかつたが…
1925年 9月10日 

『死刑の宣告を聞きにゆく日』
 九月十日! 去年の今日、朝早く、寝込みを襲はれて村木君と僕は、他愛なく警視庁に挙げられて終つたのだ。早いもので、もう一年経つた。因縁の深い今日、刑の宣告を承はりに、さア出掛けるとしようかな。

帰監後、予ての覚悟だつたから、宣告を聞いた後も、怖ろしい事も淋しい事もない。実に静かな気持ちだ。

判決が思ひ通りだつた所為か、大変愉快だ。

…今日は加藤一夫君が来てくれたので…

仮監で和田君に会つた時、和田君は物も言はずに突然手を握つて「しつかりしてくれ。」と言つた。僕は「うん」とだけしか言へなかつた。そして固く手を握り返した。

山崎君から速達で、自分は弁護人控訴をする積りだと言つて来た。つまらぬ真似をする。和田君も僕も、判決に少しも不満はない所だに、好意は解るし、嬉しくも思ふが止めて貰ひたい。