1923 大杉栄、伊藤野枝、橘宗一虐殺さる

1923 9月16日

大杉栄伊藤野枝、橘宗一虐殺さる


 戦友の死「大杉栄伊藤野枝両君が、去る九月十六日、橘宗一君と共に東京憲兵隊本部で虐殺された事は、既に諸君の熟知せるところである。
 同志諸君! 我等が常に、友人として、先輩として、且つはまた我等の有力なる同志として、相励まし相親しんでゐた大杉、伊藤の両君は倒れた。我等の運動の尊き犠牲として、遂に我等の戦線に倒れた。我等は両君の死によつて、まことに償ふべからざる大なる寂寥を感ずる。なき友を懐ふとき、我等にはなつかしき思出のみ残る。しかし斯くの如きは、我等の運動の途上にまた止むを得ざるところである。
 同志諸君! 我等の戦友は倒れた。されど我等は不断の戦ひに従つてゐる。我等は数段の勇を鼓して進まねばならぬ。倒れたる戦友の屍を踏み越えて突き進まねばならぬ。一層の覚悟と決心とを以つて。
 同志諸君! 我等が戦友の屍を焼く煙はあがつてゐる。勇敢不屈なりし同志の屍を焼く煙はあがつてゐる。されど同志よ、この貴き死灰の下より、及び彼が如き多くの人々の死灰の下より、我等の自由の大樹は生ひ出づるであらう。」近藤憲二
 『労働運動』第一号 1923年12月20日発行

1924年9月16日
 「九月十六日には大杉君、野枝さん、宗一坊の一周年追悼会が、東京、大阪、和歌山、静岡、等各地で行はれた。本号は記事輻輳の為、遺憾ながら其等の盛況を載せ得なかつた。追悼会のあつた各地の同志に、謹んでお詫びします」
 『労働運動』第六号 1924年12月1日発行

1925年9月16日
 追悼会「来る九月十六日は、大杉君等が殺された第三周年に当ります。就いては、次の如く、同志諸君と共に追悼茶話会を催すことに致しました。御出席を願ひます。

 時 九月十六日午後六時 所 労働運動社 費 拾銭 労働運動社


1926 9月16日 
「9月16日、大杉栄追悼会を労働運動社にて行なう。関西にては解散を命ぜられた」

           『黒色青年』6号(1926年12月発行)