1911年 幸徳ら処刑 1925年 村木源次郎≪労働運動社≫で病死

1911年1月24日

 幸徳秋水 午前8時6分 新美卯一郎 午前8時55分 奥宮健之 午前9時42分 成石平四郎午前10時34分 内山愚童 午前11時23分 宮下太吉 12時16分 森近運平午後1時45分 大石誠之助 午後2時23分 新村忠雄 午後2時50分 松尾卯一太 午後3時28分 古河力作 午後3時58分 処刑


宮下太吉、執行寸前「無政府党万歳」と叫んだと伝わる。                        
宮下太吉書簡、大杉栄宛 「昔の人の話に神罰程恐ろしきは無き由に候」

「或物知りの話に文明とは人の命の下落の由に候」お願みしたい事がありますから御都合の宜敷面会にきて下さい。

堺利彦様に宜敷。 「麦地におちて他の麦生ず」とか申事をヤソ坊主に聴いた事がある。


1925年1月24日 

村木源次郎≪労働運動社≫で病死