1903年 金子文子生まれる 1911年 管野須賀子処刑 1922年 凍死の

1903年1月25日 
 金子文子、横浜で生まれる

1911年1月25日
 管野須賀子、処刑

1922年 1月25日 

 望月桂たち三人が湯ヶ島に到着、猫越<ねっこし>部落に着いたのは夕方、寝棺に納められていたこの夜、部落の人たちにより久板卯之助遺体を火葬

★番外 2006年1月25日『彷書月刊』2月号発行。
特集「金子文子のまなざし−もうひとつの大逆事件
第22巻第2号(通巻第244号)彷徨舎、2006年1月。定価〔本体価格〕600円

〈特集目次〉井家上隆幸「背景の見取図−大正という時代」
(対談)森まゆみ×菅 聡子「セルフ・メイド」
田中 綾「〈恩赦〉の詩型と金子文子−歌集『獄窓に想ふ』」
斎藤真理子「文子と鈴子−「ソガッた女」の系譜」
山田昭次「金子文子の性的被差別体験−思想形成の根源として」
小田光雄「春秋社と『何が私をかうさせたか』」
下平尾直史「死にたい者をして死なしめよ!−金子文子といわゆる「プロレタリア文学」の周辺」
佐藤信子「文子を支えた栗原一男
亀田 博「金子文子の朝鮮−ムンギョン、山梨をつなぐその思想」
金子文子略年譜」(作成・亀田博)