1915年 大杉栄、荒畑寒村主催、平民講演会

1915 6月1日 平民講演会 
豊多摩郡大久保百人町352 

 大杉栄ら、参会者21名
 大杉発言要旨「日本に於ける社会主義運動の経過………日本社会主義協会の存在したる時代を第一期とし堺利彦及幸徳伝次郎等が萬朝報を退社して非戦運動を試みたる時代を第二期とす、幸徳が無政府主義の運動を起こしたるは第三期として同人が死刑に処せられたる時を該期の終わりとす其後は混沌時代となりて経過中堺利彦が茶話会を企て時々同志と会合中従来の同志が恐怖病に陥り主義運動の尚早を口実として之を避けたるに依り荒畑勝三と自分は堺と議論の結果分離して雑誌『近代思想』を発行し後之を平民新聞に変更したるは第四期の序幕なり而して平民新聞は僅か6号を以て廃刊したるも此間地方に於て多数の読者を得………横浜、大阪及其の他地方に於て運動を萌芽したるに付吾人は従来と異りたる運動を為さざる可からず就いては労働者■■■(をして?)不利益なる事を生じたときは之を扇動して労働者の反逆を為さしむる習慣を養成せしことを急務とすべし若し夫れ労働者にして反逆を始むる■■■ず■ば到底社会運動は絶望なり云々」 (官憲史料)